なぜ今「市民」を問い直すのか。この問題は最近の「丸山ブーム」と連動しており、丸山眞男の痕跡をもう一度問い直すことは「市民」を今一度問い直すためにも大きな意味がある、という熊野先生のテーマ設定はとても新鮮なものだった。丸山眞男という思想家であり政治学者は、戦後の日本において、一貫して「市民」への問いかけを行ってきた。政治が動くその背景にある、「市民」による政治的決定を見つめ、考え続けてきたのである。丸山自身が、日本の政治文化について、規範の継承を行わずに、ただ流れていってしまう文化であり「無構造」であると言及したことを考えると、丸山の論をただ流してしまうことは、彼の指摘をまた繰り返すことになってしまう。このことを念頭におきながら、いまこそ丸山自身の文章に直接触れることで、「市民」について再考するべきであるということを改めて思わされた。
まずは「近代」という表題で、丸山が日本のナショナリズムにはethnicな土地や血のつながりによる愛国心はあるものの、civicな、一般投票をメタファーとした政治的正当性に基づく愛国心の欠如が問題であると指摘をしたことに焦点が当てられた。そして丸山にとっての「市民」が、「ある」というような「存在、状態」ではなく、「する」という「行為する主体」としての「市民」であるという一貫した主張を、原文に沿って私たちは追うことになる。政治においては「ある」という存在・状態の原理が支配しがちであるが、「する」を貫徹することで政治と文化の不幸な二分化を防ぐことができるという主張であった。これはまさに「する」の主体である私たち「市民」への一つの提唱なのではないだろうか。しかし丸山はまた、日本の政治決定が自然のうちにあり、自然によって犯されていると指摘する。丸山にとっての近代とは、自然的思考を切断することだった。つまり、「市民」に自然過程の切断を求めたのにも関わらず、それが実現されないことにもどかしさ、また絶望をも丸山は感じていたのである。
次の「日本」の表題において、丸山が日本社会を巨大な無責任の体系だとしたことが指摘される。日本人の中には価値の中心に正統性を自己言及的に保障する天皇が存在したことで、逆にその威光が言い訳や個人の弱さにもつながっているとしたのである。確かに政治的な決定において、そのポイント、論点と主体がはっきりしないまま、事後的にずるずる決定してしまうという状況は、現在の政治決定においても残存しているのである。このような決定から「ずるずると」戦争にいたってしまったことが日本の反省であるはずなのに、戦後、私たち「市民」は何も変わっていないのだろうかと、とても耳に痛い指摘であった。また丸山が日本人の「自愛」が強いことを指摘したことも言及される。過去のもの、思い出に足をとられてしまうような無構造を、私たちは未だに超えられていないのだろうか。
次の「転回」という表題においては、丸山自身の立場の転向について述べられた。日本の欠陥や病理を指摘し続けた丸山は、半分は正当で半分は間違いであり、前向きな中に後ろ向きな姿勢があり、後ろ向きの中に前向きな姿勢があるというのが熊野先生の指摘だった。丸山自身も60年代以降、思考を転向することによって自由な立場に自分の身をおくことができたのである。丸山は近世の武士道から強い主体の芽生えとして、それを引き継ぐことによる可能性を説く。また自然観、歴史観として日本人の中に行き続ける「おのずからなる自然」という意識を指摘する。彼によると天皇が倒れること以外に日本人の自立は足りえないのである。また丸山は60年代後半からの左翼運動に際して、より絶望を感じるようになる。しかしそのような絶望の中でも日本人による「決定」へ断続的に問いかけを行ってきたということこそ、丸山の強さを感じさせられた。
最後に、丸山眞男の市民像へのポジティブな示唆として、政治への「いやいやながら」のはたらきかけを勧めていることが指摘された。丸山は「市民」の名が一人歩きすることで、地道な生活に基礎をおかないまま運動に走る「市民主義」には嫌悪を示した。論としては華やかなものではないものの、このような社会のすみずみからのゆっくりとした政治参加こそ、丸山が経験の中でポジティブに「市民」を肯定し、また私たち「市民」が実現できる可能性のある、現実に即した形であるように感じられた。今回の講義において一貫して感じられたのは、絶望をしつつも、わずかな希望を見出そうと根気強く「市民」の決定について見つめ続ける丸山の力強い姿だった。丸山のような学者の立場でなくても、「市民」として、またその主体であるからこそ、自分たちがどう政治決定にはたらきかけるか、また社会においてどういうポジションに身をおくかもう一度再考する必要があり、そんな一市民としての丸山の「市民」像を見つめ、考え続ける姿勢こそ、私たちが模範とすべきであり、今回の講義で丸山眞男という人物を追っていた理由は、そのことに自分で気づくというところにあったのではないだろうか。
(レポート作成:小野田 真実)
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