前期最終回となる7月11日講義へ向け、事前知識を得るために『妹島和世読本−1998』を拝読しました。この本は、『GA』という建築雑誌に掲載された、妹島和世先生へのインタヴューが基になっています。先生の幼少期から1998年時点までの建築活動が、エピソードを交えて描かれています。出版は十年も前のことですが、今日のご活躍の根底にある経験や思いを垣間見ることができました。私自身建築が専門ではないので、具体的な技術上の問題等難しい部分もありましたが、「市民社会再生」という観点から感想を述べたいと思います。
まず興味深かったのは、妹島先生が感じていらっしゃる、建築家の「生みの苦しみ」の部分です。そもそも私が実際に見たことのある先生のお仕事は、表参道のDiorビルだけでしたが、そのスッと白みがかった半透明の建物から受けた印象からは先生の苦労を想像できていませんでした。全ての計画に対する試行錯誤と細部へのこだわりを、この本を通して知ることができました。
そしてそのプロセスは、「市民社会」や「公共性」といった抽象的な概念をいかに具現化し提示するか、という問題への取り組みでもあったのだということがわかりました。例えば、個人住宅を設計される場合、両親−子供で構成されるいわゆる「核家族」とは異なる、現代の多様な家族の在り方とその可能性を意識されていました。また、美術館、学校等公共建築の計画では、ユーザーの自由な使い方を許容•刺激する「立体の公園」を実現することを常に目指されていました。言い換えれば、それは、建築空間の内部で展開される世界と外部にある社会をいかにつなぐのか、という問題だったのだと思います。それに対し建築家は何を提案できるのか。この本を読み、このような大きなテーマに対する答えの模索として、妹島先生の一連のご活動を考えられるようになったと思います。
翻って考えてみれば、それは本講座の受講者全てに共通する意識ではないでしょうか。建築、というフィールドに限らないにしても、芸術分野等での文化活動をいかに社会の中に位置づけていくのか、そして位置づけたところから何を目指すのか。誰もが自分に置き換えて考えられる話なのだと思います。
妹島先生のお仕事を、造形や建築の観点から味わう。もちろんそれも大切だと思いますが、加えて「市民社会再生」の視座から考えることも加えたいと思います。『妹島読本−1998』は私にとってそのきっかけとなりました。(星野立子)
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