2008年6月29日、第4回目の公開講座は、南嶌宏(みなみしま ひろし)・女子美術大学芸術学科教授による講演でした。南嶌先生は、昨年まで熊本市現代美術館の館長を務められていました。お話は、なぜ熊本現代美術館の話をお引き受けになったか、というところから始まり、各地のハンセン病療養所を巡るなかでの出来事などを中心に進められました。
熊本市現代美術館は、先生が立ち上げから携わった5つ目の美術館だそうです。誘いがあった当初は断っていたそうですが、計画案が以前夢に見た美術館とそっくりで、運命を感じたこと、そして、南嶌先生が「最初にして終わらない展覧会」だと考えておられる建築を、開館後は関係がなくなってしまう建築家に任せるのではなく、自ら携わるということを条件に、引き受けることを決められたそうです。館の中央に配された図書室「ホームギャラリー」も、この条件があったからこそ出来上がった空間なのでしょう。
南嶌先生が熊本市現代美術館でまず取り組まれたのが、熊本出身の生人形作家、松本喜三郎と安本亀八ら、排除されてきた美しいものに再びスポットライトをあてる、ということでした。そして、さらに熊本のことを調べていくなかで出会ったのが、ハンセン病でした。ハンセン病は、今は薬で100%治療できるですが、昔は感染性の不治の病とされ、感染すると家族から引き離され、療養所に隔離されていました。子どもを持つことも許されなかったそうです。
ここで、1枚の写真を見せていただきました。開館記念展ATTITUDE2002の展示作品のひとつで、白い衣装がたくさん並んだ中にブランコがあり、そこに一体の人形がのっているというものです。その人形は、国立療養所菊池恵楓園で生活している方が、生むことができなかった自らのお子さんの代わりに大切にしてきた太郎君、周りを取り囲むドレスは、大原ゆう子さんのつくる死の時の衣装でした。ともに現代アートの作品というわけではありませんが、生と死という、今を生きる私たちが忘れてはならない、常に頭の片隅においておくべきことを教えてくれるものです。
ATTITUDE2002が開催された翌年、黒川温泉事件が起こりました。恵楓園で生活されている方々が、ホテルからハンセン病の元患者であることを理由に入浴を断られたのです。この報道に対して恵楓園に寄せられた手紙は、ほとんどがホテル側ではなく、恵楓園側を批判、中傷するものだったそうです。このことから、ハンセン病に対する偏見が根強く残っていることが分かります。
この偏見をなくすには、人々のハンセン病に対する認識を高めることがまず第一の解決策です。美術館にできることは何かと考える中で、南嶌先生は美術と差別の間にある共通点に気づいたそうです。それは、両者ともに「見る」という行為から始まるということです。
恵楓園には、50年以上も続く絵画クラブがあります。この後は、ATTITUDE2007に展示された療養所の方々の作品をスライドで見せていただきながら、南嶌先生が直接お会いしたときのお話を伺いました。
私が最も印象に残っているのは、貝殻がたくさん並べられた作品です。この貝殻は、産むことができなかった子どもを埋めた海岸にうち寄せられたものだそうです。貝殻を集めた方は、海岸に行くとこれらを拾い集めることが習慣となっているそうです。はじめとてもきれいだと感じた海岸が、この話を聞いて全くのモノクロに変わった、という南嶌先生のお話を伺い、ハンセン病の方々に対していかに残酷なことをしてきたのかと憤りを覚えました。これらの偏見の原因は「国家」ではなく私たちの「無知」である、という言葉がとても重く響きました。
今回もあっという間に時間が過ぎ、グループワーク、質疑応答の時間が短くなってしまいましたが、講座終了後もお時間をいただき、活発な議論ができたのではないでしょうか。公開講座第4回、お疲れさまでした。前期の講演は、次回が最後です。そしてグループワーク発表は9月12日です。みなさま、こちらの議論もメーリングリストや次回講座の前後、それから7月18日の時間を活用して、少しずつ進めておいてください。
文責:渡辺 直子
14 件のコメント:
渡辺さん、レポートありがとうございました。
ブランコに乗った太郎や、海岸で拾われた貝殻は、南嶌先生の話とともに、強烈に涙腺を突き刺しました。それ自体が「作品」かどうかは、考え方が分かれるかもしれませんが、こうした「モノ」から発生するメッセージの強さに対して、「芸術作品」や「芸術家」は、真の力を持っていないと、現代社会に対峙できないんじゃないかと思いました。ATTITUDE展、見たかったなぁ。
時間が過ぎたことも忘れた講義でした。活字で読むのでは得られない、語り手とオーディエンスが共有する<何か>がありました。南嶌さんは、「名画と呼ばれる美術品を見て美しいと思う<眼>が、視覚による差別を生む原因にもなっている」「ミュージアムの建築は、永遠に終わらない展覧会である」という問いや認識を投げかけてくださいました。どれも重いものです。基礎体力をつけ、反芻しながら、自分の回答を捜していきたいと思います。
「差別」や「自己の表現」といった、人間の根元について深く考える契機になった講義でした。
もう一方で印象深かったのが、「ミュージアムの建築は、永遠に終わらない展覧会である」という一言。確かに、世には建築家のネームや見栄えだけのミュージアムがどれだけあることでしょうか?勿論、感じ方は人それぞれなのですが、学芸員が使いにくく、来館者が観にくい建物は少なくないと思います。
「21世紀美術館」は未だ言ったことがありませんが、次回妹島先生の講義につながる問題意識を得ることもできました。
現代美術(館)は、社会と人間に対し、一体何を成し得るか?との命題に、真っ向から取り組む南嶌氏のスタンスには、どこか宗教的ミッションのようなものを感じる。
氏はこれまで、キュレーター、プロデューサーとして、複数の美術館の立ち上げに関わり、広島の原爆ドームやアウシュヴィッツ強制収容所など、“死”を現代に想起させる建造美術を目の当たりにしてきた。そこで抱いた情感が、“死”をテーマとした熊本現代美術館における全ての活動の“原点”となっている。
美術をもって時代・社会・人間と対峙する。その挑戦の姿こそ、現代人が見失っている、芸術(家)の本来のあり方だと思う。
この展示が資料館や個人ギャラリーでなく、県立の美術館で開催された意義について考えさせられました。
とりわけ“現代アート”においては、“作品の解釈は見る人の自由”というスタンスが一般的だと思っていたので、詳細な解説と一貫したメッセージ性が感じられるこの展示のあり方には最初違和感を覚えました。
ただ同時に、シリアスな問題をアートというオブラートに包んで広く提示する場も、確かに必要であることを切に感じた講義でもありました。
昨年も参加した者としては、北川フラムさんが越後妻有でやっていることとの相似性が、とても印象に残りました。一方は、国の農業政策に見捨てられようとしている壮絶な山間地の農業(その結果としての美しい棚田の風景)に携わってきた人々の現在の苦悩を、そしてもう一方は、近代の衛生施策の中で、徹底的に隔離されてきた人々の苦悩を、それぞれ全身で引き受けた(それは、南嶌さんの「皆さんをお父さん、お母さんと思っています」という言葉に集約されていると思います)、壮絶なお話を聞いたように感じています。
ただ、いずれにしても、北川さんや南嶌さんの行動を「表現」として受け取るだけの覚悟が、私も含めたこの社会にあるのでしょうか。もし、それを受け取る覚悟が無ければ、北川さん、南嶌さんの行動の成果も、先祖の遺産を引き継げずに苦悩する妻有の高齢者、そして現在も結果として隔離施設に生活している人々と共に、向こう側の出来事として、結果として無視してしまうのではないのでしょうか。
私は、そのような問いに対して、はい引き受けます、とはとても言えない弱い存在です。ただ、とても重い「何か」を背負わされた、そんな感覚に戸惑っています。
「太郎」のことは、新聞で読んで知っていました。ですが、南嶌先生の講義を拝聴していて、自分が全く知らなかったと気づきました。
単なる知識は何も解決しないということも。
自らの問題として、目をそらさず向き合う姿勢を教えられました。
今や村上氏や奈良氏など、商業主義とも蜜月を謳歌している現代アートの世界。それとは対極にある、やはり現代のアートの一面を提示され、大変ショッキングでしたが、アートとはそもそも何なのか…、ということを改めて考えさせられました。先生は、‘アート’の前にまず、‘人間’が存在するということを、美術館運営のコンセプトにしていらっしゃる。美術を「見る」という行為の着地点が名画なのか、差別を意識させるものなのか、というお言葉が深く印象に残りました。
今回の南嶌先生のご講義で改めて考えたのは、地域社会における美術館や博物館の存在意義でした。社会問題に対峙し、展示活動等を通じて、地域社会全体に問題を投げかけることは、教育機能に重点をおいてきた日本の博物館・美術館にとっては斬新であるように捉えられがちですが、実は本来備えている役割であるように感じています。社会問題の本質的な解決には、経済的な支援などの表層的な部分でけでなく、それまでの苦しみや悲しみの記憶を社会全体で共有し、次の世代へ引き継ぐことが幾ばくか役立つのではないでしょうか。このことは、慰安婦への償いについてお話し頂いた大沼先生の講義内容とも重なってくるように思われます。昨今の指定管理者制度など、文化的施設の担い手を多様化させる議論は、自治体財政の立て直しや雇用問題と結びつけられる傾向がありますが、このような本来社会に対してミュージアムが負っている責務を再確認することから始めないと、いつまで経っても問題の本質にたどり着けないように感じています。
南嶌先生が「なぜ自分がこの場に導かれたのか」を常に自問し、ご自分の使命を意識しながら、美術館の立ち上げ・美術展の企画に関わり続けてこられたことが印象に残りました。
死の前には平等な人間が、生きている間に創作行為等を通じて発するせつなく強烈なメッセージを、美術館が紡ぎ、語り、発信していく。美術館にはそんな力もあったのか、と蒙が開かれる思いがしました。
美術館に可能なことを、今の美術館はどのぐらいなしえているのだろう。そんなことを考えるきっかけとなる講座でした。
恥ずかしながら、わたくし10年ほど前は「芸術は美しいもの・幸福なもののみを対象とすべき」と考えていました。
しかし、よく考えたら、芸術は人間がその存在意義を主張するために行う行為・生産物なのですから、美しいもの・幸せなものだけとは限りません。
むしろ、怒りや悲しみなど、幸せとは真逆の要素のほうが圧倒的に多いのです。
この講義を聴いて、美術館の展示が、人間のあり方、生きる姿勢をあえてさらけ出し、最終的に希望を見出させることのできるという事実に、大変ショックを受けました。そしてまた、かつての私の「芸術観」がとても狭隘なものであったかを思い知らされました。
一方で、美術館を含めたミュージアムが、人間の奥深さの一端を垣間見せることに成功していることを知りました。
このように、ミュージアムがだ未知なる可能性を秘めているとに、希望を見出すことができた、感動的な講義でした。
熊本にはこのようなハンセン病患者の方々がいる。それは、そしてその方たちへの差別は、紛れもなく現代のことである。差別を引き起こしているのは、美術と言われるものを見て美しいと思う目である。<熊本市><現代><美術館>でこの展示を行う意味は明確で、強烈だと感じました。
美しいと思う目で同時に差別をしているという事実に気付かされた時、大きなショックを受けました。でも。太郎君や貝殻を間接的にでも見て、僕たちの心は大きく動かされた。つまり僕たちの目は、それまで差別してきたものを、見方・見せられ方次第で美しいと感じることもできるということですよね。だからこそ、その変化をしかける美術館の持つ役割・可能性・責任は非常に大きいんだと、少し冷静になった今、思います。
人は網膜を通して美しいと感じることも差別をすることもできるけれど、同時に「見ない」でいることもできるのだと思った。見たいもの、見えるものしか人の意識には上らない。
強烈なメッセージを発するものは山のように存在するけれど、私はその中のいくつに気づき、真摯な目を向けているのだろう。ハンセン病について知っていながら何も知らなかった自分を省みつつ、謙虚な気持ちで講義を終えた日々を過ごしています。
Iグループ齊藤です。
熱い人がいるだけで、組織は生きるものですね。ATTITUDE展はみたかったなあという思いと、きちんと受け止められたかなあという思いが浮かびました。 また、キュレーター採用試験で、災害が起きたときに何をまずするか?の問いは、美術館でも、お客様あってのサービス業と考えている担当としては当然の回答だと思うのですが、皆さんはどう思ったのでしょう。フィルターとして、可視装置として、の、美術館の話はとても身近に感じました。そして、館を離れた今現在は、どんな風に、館を見ていらっしゃるのかお聞きし忘れてしまいました。いろいろと反芻してしまう、インパクトのあるお話ありがとうございます。
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