※事務局より…第4回の渡辺先生の講義では、4人の受講生にレポートを書いていただきました。講義の内容だけでなく、受講生の着眼点や解釈の多様性を含めて、お読みいただければと思います。以下、4回に分けて投稿します。
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前期の締めくくりとなる今回の授業の冒頭では、「市民社会」の表象の曖昧さとともに、一枚岩では語りつくせない実体が指摘され、具体的個別的な展開をひとつにくくらない見方の重要性が強調された。そして、西洋音楽文化の代名詞の位置を占めてきた「ピアノ」と市民文化の関わりを、(1)「ピアノ」文化の発祥ともいえる19世紀のドイツ、(2)両大戦間のアメリカ、(3)そして1920年代の日本という、3つの局面に着目することで、その多面性が鮮やかに明示されることとなった。西洋社会から周辺へと伝播していった「ピアノ」であるが、受け皿となる社会や時代は当然のことながら一様ではなく、それぞれの社会での普及の有り様もまた、均質なものではなかったのである。
プロのピアニストの大半は男性であるにもかかわらず、なぜ「ピアノ」は女性らしさの象徴として受け止められているのであろうか。その秘密を探るべく、まずは市民の「ピアノ」文化の原点ともいえる、19世紀のドイツに目を向けてみた。産業革命以後、家庭のあり方が大きく変化する中で、それまでは公共の空間で享受されてきた音楽も家庭の中に取り込まれ、当時のドイツでは「家庭音楽」という思想が広まっていた。そして、「ピアノ」も家具の一部として配され、教養の象徴としてブルジョワ階級のアイデンティティの確立に一役買うことになる。しかし、その後いわゆるクラシック音楽が精神的体験として根付くことで、「家庭音楽」は空洞化を免れず、花嫁修業としての音楽教育と、プロを養成する専門的教育に両極化していく。
このように19世紀のドイツで豊かな文化を育んだ「ピアノ」が、再び注目を浴びることになったのは、両大戦間のアメリカであった。当時のアメリカでは、科学技術の急速な進歩に伴い、次々と新しい家電が発売されていった。そして、それまで家庭に留まっていた女性たちが外へ出るようになり、女性の新しいライフスタイルが模索されるようになった。そのような背景の下、「自動ピアノ」が普及し、「ピアノ」文化も新しい局面を迎えることになる。さらに、「楽器」としての「蓄音機」も登場したことで、次第に音楽は「生産」するものから「消費」するものへと変貌を遂げていったのである。そして最後に、日本における「ピアノ」の受容に目を移してみると、日本の場合は「ピアノ」と「蓄音機」が同時期に流入されたこともあり、たとえば、音楽と裁縫が花嫁修業の一環として取り扱われるなど、やはり独自の発展の道を歩むことになった。
以上のように、同じ「ピアノ」であっても、波及した時代や地域が異なれば、当然のことながら、社会の中で全く別の文化の営みを生み出してきた。今回の講座では、「ピアノ」という切り口で「市民社会」を眺めてみることで、文化を受け容れる社会の多様性を改めて実感させられた。われわれが目指すべき「市民社会」を描く際にも、既存のモデルを模倣するだけではなく、日本の、そして現代の実体に即した「市民社会」の姿を柔軟に創出していく姿勢が求められるであろう。豊富な図版を使った楽しい講義の後に、そんな大切なメッセージが心に刻まれた。
(レポート作成:片多祐子)
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