北川フラム氏といえば、越後妻有アートトリエンナーレが有名だ。豪雪地帯の過疎地域でのトリエンナーレが、これほど魅力的に映る理由は何だろう。フラム氏の講演を聴く中で明らかになったキーワードは二つ。“おもしろい”と“反対者”だ。
アートはおもしろい
絵画なんて、「おもしろい!」と思って見に来る人が見るからおもしろいんであって、そうでない人にとっては何もおもしろくない、とフラム氏は言う。フラム氏が地域の中でアートを展開していくときは、関心のある人も無い人も含めた様々な人を惹きつけて巻き込んでいく“おもしろいアート”を目指す。“おもしろいアート”といっても大衆迎合のテーマパークではない。それは一見アートに見えないが、人と人との新しいコミュニケーションの回路を開くような、五感をつかって体験できるようなものだ。
“おもしろいアート”には力がある。例えば、越後妻有では一人暮らしの老人の家に、見知らぬアーティストや都会の若者が、「あなたの土地に作品を作らせてくれ」とやってくる。自分の家族すら訪ねてくれることの無かった老人は、こうした他者との交流に元気をもらう。これがアートの力だ。さらにアートには、作品を作るという労働がある。不慣れな都会の若者が作業していると、地元の人々は手を貸さずにはいられない。一緒に体を動かす体験をしてしまえば、もともと分けのわからない現代美術は、あいまいさも多様さも許容してしまう。ここではもう、作品なんかより人と喋るほうが重要だ。そう言いきってしまう所に、フラム氏のプロデューサーとしてのすごさがある。地域プロジェクトではアートを愛するあまり、協働する相手が見えなくなってしまうこともあるかと思うが、フラム氏のターゲットは最後までぶれない。
反対者とやる
もう一点、フラム氏がすごいところは、“反対者”と一緒に事業を進めるところだ。志同じくした仲間同士でやったほうが上手くいくのは当然だが、敢えて、反対する人々を巻き込んでいくのである。なぜなら、反対意見や批判から学び、新たな作品ができるからであり、厄介なことを媒介に、人と人とがつながれるからだ。フラム氏は「日本は美談が好きだ」と話した。厄介なことはなるべく避けて、すべて上手くいったように見せかける。けれど、美しいばかりの対話の場で、本当に腹を割った話ができるだろうか。地域イベントを行なうにつけ、対話やコミュニケーションの場が設けられるが、そうした場所は“反対者”を歓迎しているだろうか。場が設けられても切迫して議論する課題が無ければ表面的なやり取りで終わってしまう。妻有でフラム氏は、巻き込むべき“反対者”を巻き込んでいった。だからこそトリエンナーレは地域のものになったのである。今後“反対者”の声がもっと表に聞こえてくるような展開を期待したい。
そこに住む人々のために
越後妻有アートトリエンナーレが、地域のためのアートイベントであることを象徴するのが、中越震災後に行なわれた「大地のお手伝い」である。トリエンナーレのスタッフは、芸術祭の準備を2年間ストップして、被災地の「お手伝い」に向かった。都市間競争が激化する昨今、世界各地で新しいビエンナーレが開催されているが、対外的なアピールはあっても、本当の意味でそこに住む人々のために行なわれているイベントはどれほどあるだろうか。妻有の主役は、地域の住民と他者、都会の若者やアーティストだ。
高齢者人口が多く、いずれ消滅してしまうかもしれない集落に、アートを媒介にして人が集まり、その場所の魅力に気づいて帰る。すると次回は、自ら手伝おうという気持ちになる人が出てくる。棚田や里山、空き家のことが忘れられない人がでてくる。こうしたアートの力を使って、フラム氏は日本各地にある、見捨てられそうな土地を救っていくようだ 。アートは都会だけのものではない。余裕がある人のためだけのものでもない 。一見アートから最も遠い場所や人々こそ、実はアートを必要としているのかもしれない。フラム氏はそうした場所や人を見つけ出し、“おもしろいアート”で人々をつなげるプロフェッショナルだった。
※1 フラム氏は公害の直島、人口流出が続く瀬戸内海を舞台にアートプロジェクトを計画している。山陽新聞2007年7月7日
※2 阪神淡路大震災直後、被災地の人々の何人かが、フラム氏の手がけたファーレ立川の様子をテレビで見て、あんなまちに復興したいと思ったそうである。
(レポート作成:豊田梨津子)
0 件のコメント:
コメントを投稿