2007/10/05

第5回|北川フラム氏+木下直之先生

※事務局より…第5回の講義では、2人の受講生にレポートを書いていただきました。受講生の着眼点や解釈の多様性を含めて、お読みいただければと思います。以下、2回に分けて投稿します。
======
「美術は本当は人の側にあった、そうした美術というものを何か残せないか」という北川さんの美術は、人とのつながること・つながりたいという思いをとても大切にしている。それを考えるきっかけになったのは、海外のパブリックアートだったそうだ。
例えば、ミネアポリスの橋の話(アーティスト名を控えられなかったので、詳しい方がいたらコメントをいただけると嬉しいです)。街を南北に分断する何車線もの高速道路のバイパスの上で、道路の向こう側とこちら側を橋渡ししているのだけれど、人2人がすれ違うのがやっとなくらいの細い狭い通路(catwalk)になっている。これをつくったアーティストは、本来人と人とをつなぐ交流の道だった道路が、人と人とを分断してしまっていることに問題を感じ、断絶をこえる仕組みとして、この橋をデザインした。狭い橋の上では、橋を渡る街の南北の住人が、否応なくすれ違う構造になっている。橋を渡るたびに至近距離ですれ違っていれば、少なくともすれ違い相手に仏頂面ではいられなくなるし、自然にコミュニケーションも生まれてくる。億単位のお金をかけてそんなバカなことを、という議論も紛糾したそうだが、その議論も含めて、この橋のおかげで確かにコミュニケーションが、人と人とのつながりが生まれた。そんなバカなことを考えられるのは美術だけだと、北川さんはいう。他にもいろいろなパブリックアートの事例を紹介しつつ北川さんが語ってくれたのは、地域と人・地域と都市・人と人とのつながりをつくりだす美術の力、美術の楽しさだった。
人とつながるのは楽しいけれど楽ではない。越後妻有の芸術祭は、公園のように作品が守られる前提がある場所ではなく、それぞれの時間・歴史をもつ200あまりの集落で、他者の土地にものをつくるという、ものすごい闘いでもあった。それでも、一緒にやることでつながりは生まれる。アーティストは、これまで越後妻有で生きて働いてきた人々の労働に作品を通して敬意を表現し、泥だらけになってがんばっているアーティストを、地域の人たちも応援してくれるようになった。そうしたコミュニケーションに対し、「美術は赤ん坊と同じ」と北川さんはいう。やっかいで世話もかかるけれど、そこを媒介にみんながつながっていく。
国は金を出す以外は口を出さないのが一番の文化政策だけれど、北川さんは越後妻有では、めんどうだけど行政と関わることを重視したという。一緒に何かをやろうと思ったら、反対者の意見が最も重要で、一番守りに入っているのが行政だからだ。自分と違う人に興味を持つ、一番違う人とつながりたいと思うのは人間の生理だと、北川さんは熱く語ってくれた。
人と関わりたいと思うのは、自分一人だけでは見つけられない、何か素敵な可能性が感じられるからだと思う。1+1が2以上、3以上、もっと未知数な何かになる、そんなわくわくする楽しさが、北川さんが美術という「宛名のないラブレター」のような活動を続ける原動力なのだろう。曖昧さや多様性を許容できる美術のゆるやかなつながりの中では、働きかけは決して一方通行ではなく、相手に働きかける自分自身も変わる。北川さん自身、この10年で自分も変わったという。最初は正直啓蒙意識みたいなものもあったけれど、「若い人が一緒に沢庵食べてくれて嬉しい」というおじいちゃんが考えるように僕も動きたいと思うようになったそうだ。その変化を受け入れて楽しんでいる北川さんは、とても素敵でかっこよかった。
人と人とがつながること、そのつながりを一人ひとりが楽しむこと。ひとりひとりの市民がつながりを楽しむところから、素敵な市民社会も始まっていくに違いない。そうしたコミュニケーションの蓄積が、市民社会における豊かさなのだろう。
(レポート作成:中村美帆)

0 件のコメント: