2008/07/08

感想文●「妹島和世読本−1998」

前期最終回となる7月11日講義へ向け、事前知識を得るために『妹島和世読本−1998』を拝読しました。この本は、『GA』という建築雑誌に掲載された、妹島和世先生へのインタヴューが基になっています。先生の幼少期から1998年時点までの建築活動が、エピソードを交えて描かれています。出版は十年も前のことですが、今日のご活躍の根底にある経験や思いを垣間見ることができました。私自身建築が専門ではないので、具体的な技術上の問題等難しい部分もありましたが、「市民社会再生」という観点から感想を述べたいと思います。
まず興味深かったのは、妹島先生が感じていらっしゃる、建築家の「生みの苦しみ」の部分です。そもそも私が実際に見たことのある先生のお仕事は、表参道のDiorビルだけでしたが、そのスッと白みがかった半透明の建物から受けた印象からは先生の苦労を想像できていませんでした。全ての計画に対する試行錯誤と細部へのこだわりを、この本を通して知ることができました。
そしてそのプロセスは、「市民社会」や「公共性」といった抽象的な概念をいかに具現化し提示するか、という問題への取り組みでもあったのだということがわかりました。例えば、個人住宅を設計される場合、両親−子供で構成されるいわゆる「核家族」とは異なる、現代の多様な家族の在り方とその可能性を意識されていました。また、美術館、学校等公共建築の計画では、ユーザーの自由な使い方を許容•刺激する「立体の公園」を実現することを常に目指されていました。言い換えれば、それは、建築空間の内部で展開される世界と外部にある社会をいかにつなぐのか、という問題だったのだと思います。それに対し建築家は何を提案できるのか。この本を読み、このような大きなテーマに対する答えの模索として、妹島先生の一連のご活動を考えられるようになったと思います。
翻って考えてみれば、それは本講座の受講者全てに共通する意識ではないでしょうか。建築、というフィールドに限らないにしても、芸術分野等での文化活動をいかに社会の中に位置づけていくのか、そして位置づけたところから何を目指すのか。誰もが自分に置き換えて考えられる話なのだと思います。
妹島先生のお仕事を、造形や建築の観点から味わう。もちろんそれも大切だと思いますが、加えて「市民社会再生」の視座から考えることも加えたいと思います。『妹島読本−1998』は私にとってそのきっかけとなりました。(星野立子)

2008/07/03

レポート|事例2 南嶌宏(芸術学)

2008年6月29日、第4回目の公開講座は、南嶌宏(みなみしま ひろし)・女子美術大学芸術学科教授による講演でした。南嶌先生は、昨年まで熊本市現代美術館の館長を務められていました。お話は、なぜ熊本現代美術館の話をお引き受けになったか、というところから始まり、各地のハンセン病療養所を巡るなかでの出来事などを中心に進められました。

熊本市現代美術館は、先生が立ち上げから携わった5つ目の美術館だそうです。誘いがあった当初は断っていたそうですが、計画案が以前夢に見た美術館とそっくりで、運命を感じたこと、そして、南嶌先生が「最初にして終わらない展覧会」だと考えておられる建築を、開館後は関係がなくなってしまう建築家に任せるのではなく、自ら携わるということを条件に、引き受けることを決められたそうです。館の中央に配された図書室「ホームギャラリー」も、この条件があったからこそ出来上がった空間なのでしょう。
南嶌先生が熊本市現代美術館でまず取り組まれたのが、熊本出身の生人形作家、松本喜三郎と安本亀八ら、排除されてきた美しいものに再びスポットライトをあてる、ということでした。そして、さらに熊本のことを調べていくなかで出会ったのが、ハンセン病でした。ハンセン病は、今は薬で100%治療できるですが、昔は感染性の不治の病とされ、感染すると家族から引き離され、療養所に隔離されていました。子どもを持つことも許されなかったそうです。
ここで、1枚の写真を見せていただきました。開館記念展ATTITUDE2002の展示作品のひとつで、白い衣装がたくさん並んだ中にブランコがあり、そこに一体の人形がのっているというものです。その人形は、国立療養所菊池恵楓園で生活している方が、生むことができなかった自らのお子さんの代わりに大切にしてきた太郎君、周りを取り囲むドレスは、大原ゆう子さんのつくる死の時の衣装でした。ともに現代アートの作品というわけではありませんが、生と死という、今を生きる私たちが忘れてはならない、常に頭の片隅においておくべきことを教えてくれるものです。

ATTITUDE2002が開催された翌年、黒川温泉事件が起こりました。恵楓園で生活されている方々が、ホテルからハンセン病の元患者であることを理由に入浴を断られたのです。この報道に対して恵楓園に寄せられた手紙は、ほとんどがホテル側ではなく、恵楓園側を批判、中傷するものだったそうです。このことから、ハンセン病に対する偏見が根強く残っていることが分かります。
この偏見をなくすには、人々のハンセン病に対する認識を高めることがまず第一の解決策です。美術館にできることは何かと考える中で、南嶌先生は美術と差別の間にある共通点に気づいたそうです。それは、両者ともに「見る」という行為から始まるということです。
恵楓園には、50年以上も続く絵画クラブがあります。この後は、ATTITUDE2007に展示された療養所の方々の作品をスライドで見せていただきながら、南嶌先生が直接お会いしたときのお話を伺いました。
私が最も印象に残っているのは、貝殻がたくさん並べられた作品です。この貝殻は、産むことができなかった子どもを埋めた海岸にうち寄せられたものだそうです。貝殻を集めた方は、海岸に行くとこれらを拾い集めることが習慣となっているそうです。はじめとてもきれいだと感じた海岸が、この話を聞いて全くのモノクロに変わった、という南嶌先生のお話を伺い、ハンセン病の方々に対していかに残酷なことをしてきたのかと憤りを覚えました。これらの偏見の原因は「国家」ではなく私たちの「無知」である、という言葉がとても重く響きました。

今回もあっという間に時間が過ぎ、グループワーク、質疑応答の時間が短くなってしまいましたが、講座終了後もお時間をいただき、活発な議論ができたのではないでしょうか。公開講座第4回、お疲れさまでした。前期の講演は、次回が最後です。そしてグループワーク発表は9月12日です。みなさま、こちらの議論もメーリングリストや次回講座の前後、それから7月18日の時間を活用して、少しずつ進めておいてください。
文責:渡辺 直子