2009/06/19

3年目の公開講座が始まりました。

先週金曜日から3年目の文化資源学公開講座
「市民社会再生ー新しい理論構築に向けて」が始まりました。
今後の講座の様子は以下のブログでお知らせします。
http://shiminsyakaisaisei3.blogspot.com/

2008/12/04

紹介文●ゲスト講師3人をお招きした理由

今年度、数々のゲスト講師の最後を飾る次回の公開講座は、大阪と神戸から、第一線のアートの現場で活動されている三人をお迎えします。ここでは、この三人のこれまでの活動をごく簡単に紹介したうえで、なぜ、この三人を講座に招いたのか、その背景と趣旨を説明させていただきます。
神戸を拠点に活動されているアーティストの杉山知子さんは、1994年からC.A.P.(芸術と計画会議)の代表を務められています(2002年にNPO法人化)。ご自身の作家活動と並行して、神戸市内の遊休施設をアーティストのアトリエとして転用したCAP HOUSEを運営し、アーティスト・コミュニティの拠点を形成されてきました。
神戸と大阪で活動されている木ノ下智恵子さんは、現在、大阪大学のコミュニケーションデザイン・センターの特任講師を務められており、大阪の都心部を中心に、さまざまなアートプロジェクトやカフェイベントの企画制作を手掛けられています。また、長らく神戸アートヴィレッジセンターのアートプロデューサーとしても活動されてきました。
山口洋典さんは、浄土宗應典院の主幹でもあり、京都の同志社大学の教員もされています。應典院の境内には劇場設備を有する地域に開かれた施設があり、そこで大阪の若い演劇人たちの人材育成や作品発表が展開されています。また、「大阪でアーツカウンシルをつくる会」の世話人としても活動されています。
さて、この三人を「市民社会再生」をテーマとする本講座にお招きしたのは、昨今の関西における文化を取り巻く事情を抜きにしては語れません。
昨年度の公開講座でも、NPO法人DANCE BOXの大谷さんから、大阪市の行財政改革の荒波によって、活動拠点だったフェスティバルゲートからの撤退を余儀なくされた話を伺いました。その後DANCE BOXは、大阪市からの提案により代替施設に移転したものの、そこも短期間の退去となり、最近、神戸市からの申し出によって、拠点となるスペースを構えることができたそうです。
また、みなさんご承知のとおり、大阪府においても知事からのトップダウンの財政改革によって、大阪センチュリー交響楽団の存続問題に代表されるように、文化団体や文化施設の財政危機だけでなく、その存在意義そのものに疑問を投げかけられている状況です。
さらには、滋賀県では県立芸術劇場であるびわ湖ホールの運営予算について県知事と県議会とが対立し、「福祉か文化か」といった二者択一の議論に発展する一方で、県民だけでなく、全国の芸術関係者や芸術団体による署名運動が展開されました。
以上のような関西の文化事情は、個々の問題についての当事者の意見や立場の違いによる見解の相違を検証することは可能です。しかし、より重要なことは、「そもそも市民社会にとって文化の役割とは何か、そしてその役割を、誰が、どこまで担うのか」を語るべきではないでしょうか。
三人の共通は、関西で活動すること、芸術の現場に関わっていること、何らかのコミュニティの媒介を担っていること、そして非営利の公益活動を実践していることです。そうした立場から、市民社会における「文化の射程」を、どこまで広げているのか。あるいは、市民社会再生の芽生えが、どのような形で見えてきているか。短い時間ではありますが、熱く語っていただきたいと思っています。(大澤寅雄)

2008/11/07

レポート|事例1 田中泯(舞踏家・振付家・農業者)

2008年10月31日は後期の事例1として舞踏家・振付家・農業者である田中泯氏をお迎えしました。「しゃべっていてあきちゃうんですよね」という言葉から始まった講義ですが、インドネシアでの「場踊り」のお話しや、前回の沼野先生の公演を事前に聞かれた上で、それと絡めてお話してくださるところもあり、また逆に木下先生に質問されるなど、田中氏の人柄が感じられました。最後には、田中氏の行っているワークショップの様子を映像とともにご紹介くださいました。
前回の沼野先生の講義と絡めては、越境についてお話いただきました。境界には、見える境界と見えない境界があるのではないかと仰って、それぞれを説明してくださいました。
見える境界は、大人数で意思・思考を働かせやすいもの。それは、例えば株を買うとか、地所を増やすなどの、「所有する」こと、自分の「持てる境界線」を広げたいということとも関わってきます。また、優劣・勝敗など「向こう側に行きたい」と思わせるこれらのくくりに関しても、ボーダーが見えるのではないかと仰っていました。一方、見えない境界は、大勢で対処しにくいものだとします。田中氏は、認否人のことを「人間のボーダーからはずされた人」と表現し、人でないばっかりに許されたことができたのではないかと仰いました。そして、ご自身は「できれば、こっから先があっちだな」と感じられる、ボーダーラインに立ってしまっている状態を実践したいと仰いました。
ここで、「市民社会再生」に言及。
人間:ヒト社会の中で、社会を前提とした存在(つまり人非人は「人間じゃない」と言われて当然だと位置付けられる。けど、踊りがすごくなれればそっちのがいいな)
市民:ポジティブに社会に参加している人間
・・・現在生きている人間たちの文化ということ?
木下先生「人をどういう風に呼ぶのか。社会の構成員であり、社会に対してポジティブに何か変えていきたいと主体的に関わる人のこと。かつて輝いていた言葉で、今はあまりつかわれない言葉を選んだ。」
「市民社会再生」の受講生の多くが引っかかっているであろう、これらの言葉について、逆に木下先生に質問されました。
その上で、生まれた瞬間に空気を吸うようになることが、地球上の営みに参加したことになるという点で大転換だと仰いました。空気は境界のないものの最たるもの、しかし今でも境界のないものなんて多くあるといいます。そして、所有と越境の絡まりを、身体に引き付けて話してくださいました。
「自分」というもの―からだという環境―を持ちながら、それと一緒に歩き死んでいくのであって、からだの中に記憶がある、という言葉はとても印象的です。からだが自分の一番近くにあるブツであり、最初で最後の砦であって、そのことはとても大きなことなのだということ。一方で、自分のからだを自由に使い「自分」から自由になることは、自意識過剰になってしまうことと表裏一体で、自意識がおこるとできなくなってしまうといいます。それはトランスしてしまってはだめで、だけど覚醒状態にあるということが大切だということです。
記憶と身体(とコミュニティー)は、後期のキーワードですが、私はこれらがどう結びついていくのか、まだよく分からないでいます。ただ、からだのことをこんなに大切にしていいんだ!という驚きというか、疎かにしてきたつもりではないにせよ、自分の記憶として、からだに向き合ったことがなかったことに、(大げさでなく)気付かされました。これは、もちろん人によるのかもしれません。グループディスカッションの場では、表現の形としてからだを通す経験をされた方は、私が驚いていることが不思議だったようです。では私は、からだを持った存在としての相手も、見てこなかったのでしょうか。はた、とまた驚いてしまいます。ワークショップの様子を映しながら解説してくださった、見えていることの乱暴さということはこういうことでしょうか。
「ダンサーという性質から」と前置きしてから「一瞬よりもちょっと長い永遠」と仰いました。時間をどう感じながら生きているのかということのために自分が選んだ表現だといいます。しかし、「泯さんはダンサーだから」とか、「泯さんだから」という視点からこの講義をとらえることがはばかられてしまうのは、私だけでしょうか。
この講義で、ちょっとからだに興味をもってしまった方もいらっしゃるでしょう。そういえばそんなサークルもあったっけ、という人々に向けて、サークルの活動報告もぜひしていただきたく思います。
(宮川智美)

レポート|基調講演 沼野充義(ロシア東欧文学)

2008年10月24日、後期第2回目は沼野充義先生(東京大学文学部教授、ロシア東欧文学・世界文学論)による基調講演でした。タイトルは、「とどまることと越えていくこと―故郷、境界、越境について」。配られたレジュメには、①現代的現象(?)としての「越境」、②二つのノーベル文学賞受賞スピーチ―日本とその境界、③亡命文学―その光と悲惨、④日本文学の「境界」、と記されています。ここでは、簡単に(そして主観的に)講演の概要をふりかえりたいと思います。
①現代的現象(?)としての「越境」では、冷戦終結後、世界は一元化していくのか、それとも多様化していくのかという問題提起がありました。例として挙げられたのは、インターネットの普及に伴う「英語」の世界共通言語化です。しかし英語だけが世界中に浸透していったわけではなく、各地の言語にあわせてコンピューターの仕様を変換するという現象が同時に起こってきます。世界的な一元化と並行して多様化が進行するのです。したがって、あれかこれかという単なる二者択一ではなく、そのはざまの中に私達は位置していると言えるのではないでしょうか。また、中国からフランスへ亡命した高行健氏やドイツと日本の空間及び言語を自由に往来する多和田葉子氏などの例からわかるように、文化の領域で「国籍」を定めることが難しくなりつつある、というのも事実でしょう。
二つのノーベル文学賞受賞スピーチ(②)では、川端康成が「美しい日本の私」、大江健三郎氏が「あいまいな日本の私」というタイトルで各々の受賞スピーチを行った背景には世界と日本を区別する境界の変化が読み取れることをご教示いただきました。自分を規定(定義)するとは境界を定めること、という先生のお言葉に、しばしば「私って○○な人間なんで〜」と言う人は、その発言によって自分の境界を無意識のうちに作り出し、その中に自分自身をつなぎとめようとしているのではないかなどと考えました。
③の「亡命文学―その栄光と悲惨」については時間の制約があり詳しくは触れられなかったのですが、過去を向く「求心的なもの」と「遠心的なもの」として、過去に戻りたい・望郷の念・母語への愛着といった方向性と、反対に未知の領域を開拓してゆこうとする方向性を説明してくださいました。亡命とは境界を越えて出てゆくことですが、境界が曖昧になりつつある現在でも、越境することはやはり簡単ではないように思われます。内にとどまろうとするのか、外に出て行こうとするのか。ここでも①と同様、二極のどちらか一方向に進んでゆくわけではなく、単純には語り得ないということが露わになりました。
日本文学の「境界」(④)では、日本語で書き、日本語で読まれることを前提とした日本文学というものと世界文学との境界が曖昧になってきているというご指摘がありました。芥川賞受賞が記憶に新しい楊逸氏の使った「汗玉」という表現などを例に、ちょっと違和感を覚えるような表現を切り捨てるのか、それともその差異にこそ新しい表現の可能性を見出してゆくのか、という問いかけがありました。執筆・発表する言語や表現方法、記憶など、これまで自明のこととして共有されてきた前提が今揺らいでいるのでしょう。
コミュニティとは、「何かを共通にもっている」者の集まりであるといいます。人・物・情報そして文化も移動する時代にあって、今私達は何を共有しどのようなコミュニティを築こうとしているのでしょうか。「公共性・多様性・マイノリティ」という前期のテーマから「記憶・身体・コミュニティ」という後期のテーマへのつながり、そして広がりを感じさせられる基調講演でした。
講演の内容自体は奥深いものでしたが、穏やかでかつ随所にユーモアを交えた沼野先生のお話に会場の空気は終始和やかでした。質疑応答も盛り上がり、中には川端の「美しい日本の私」と大江の「あいまいな日本の私」にひっかけて、「夏目漱石がノーベル賞を受賞したとしたら、どのようなタイトルで受賞スピーチをしたと思うか」というような珍(?)質問も飛び出しました。
ちなみに、沼野先生は「可笑しい日本のあなた」という文章を『200X年 文学の旅』(作品社、2005年)に書いていらっしゃいます。柴田元幸先生(英米文学、翻訳論)との共著です。読書の秋、興味をもたれた方は是非ご一読ください。
質疑応答のあとは、早速“サークル”のメンバー募集が3件ありました。
これからどの“サークル”に入るか、はたまた自ら旗揚げするか。悩みどころですが、自らの「境界」を定めず、寧ろ普段はあまり関わらないような分野の活動に「越境」を試みるのも良いかも知れません。
(三石恵莉)