2007/12/07

第10回|特別講義 鷲田清一先生

12月7日は、大阪大学学長の鷲田先生を迎えての特別講義でした。「市民社会再生」、そして今年度のテーマである「文化の有効性」について、その本質を分かりやすい言葉で語られた鷲田先生。受講生のコメントを紹介します。
普段社会の中で「変だな」と感じていたことを鷲田先生に見透かされ、言い当てられたような気分でした。システム化された社会で、それが良いことであるとされている中で、私たちの市民社会が成り立ちにくくなっていると思いました。システム化社会の中で私たちの市民権をつかみとるそのための可能性を「アート」はもっていると感じました。「アート」や“「アート」を社会にひらく”といった言葉を聞く機会はとても多いですが、本当の意味や真剣さをもって発信していきたいと思いました。

私達が生きている社会はあらかじめ決められた見えないルールがあるなと先生の意見を聞いて感じました。また、私達はそのルールのことを意識しすぎなのだと思います。そのルールがとどかない空間である原っぱは、私達に必要な場だと思いました。アートプロジェクトは、アートを考えるのではなく、その考える行為を行うという意味で人が能動的に働きかけるきっかけを与えてくれるのではと思いました。

今回の講義では、“なぜアートなのか”について鷲田先生のご意見が聞けて腑に落ちる経験をした気がしました。(これまでの講義では、アートあるいは文化の有効性ありきで進んだものであったように思われるので)方法論ではなく、それ以前の場所について、考えてみることができたのが新鮮でした。そこを考えることが、方法論や実践の場に生きれば素晴らしいものになるのではないかと思いました。

アートの話でしたが、経済も同じだと思いました。多くの企業が、特に金融機関はサブプライムや不良債権や敵対的M&Aや新興企業経営者の出現を、諸悪の根源のように指摘し続けてばかりで、成長機会がないと言い訳しているところが多い。まるで自らはイノセントだと言わんばかりに。能動的態度の経営が、経済の再生をもたらすだろうと感じた。

「地域興しになぜアートか?」という問いは、北川フラム氏はじめ、後期の講師陣の何人かの方か言及されています。それぞれの立場によって洞察のベクトルが違い比較すると面白いと思いました。

最近、何かと自分について考えることが多くなっていまして、「自分の存在が浮いている」感覚を日々感じているのですが、『誰でもできる事をしているうちに、まわりの人が、自分にしかできないものを見つけてくれる』という言葉をお聞きし、悩むばかりではなく、とにかく目の前にあるものから毎日を過ごしていこうと思います。

感動的な講義でした。今まで人とアートに関ってきて、今後も続けていこうと思いました。面白かったです。

私は、鷲田先生の講義の中で(そしておそらく今年度の全12回の講義の中で)もっとも印象に残った短いフレーズは、「アートは、民主主義のレッスンである」という言葉でした。市民社会再生の鍵は、そこにあるような気がしています。
(コメント編集:大澤寅雄)

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