2007/07/06

第3回|佐藤健二先生 「市民+社会+文化+再生」の糸口と結び目を探る

 ここまでの講義で何度もでてきた「市民」。しかしまだ「市民」の実態が明確な形で立ち現れてこない。佐藤先生は講義の最初に「市民」がわからないという自覚が出発点だとおっしゃってくれた。まずは再生すべき対象そのものを掴む必要があると。
 最初にここまでの2回の講義を軽く振り返ったあと、「市民+社会」というカテゴリーの現代日本的な特質ということで、平田清明が「市民社会」を外来の抽象概念だとしたことを指摘した。この言葉には宙に浮いた、実態がないためにユートピア的な形で成立してしまうこともあるようだ。

 まずは(1)政治参加として、これが市民という言葉の核であり、政治システムへの主体参加を市民に一つの行動の形として挙げられた。特に戦後、市民の主体性が市民運動のような形で主張されていた。その背景には、国家と市民、社会の対立構造があり、戦時だけでなく平時をもふくめた国家の力に市民が注目したということがあり、それが厭戦思想と結びついたとも考えられるようだ。また“文化政策”や“資源”という言葉が登場したのも、総動員体制から生まれたものである。国家という大きなシステムからどうやって市民の側に自発的に引き離すかということが、市民の関心になってきたといえる。
 次に(2)個人の確立。「市民」という言葉は共同体の解体と個人の自立という過程に結び付けられ、イエ・ムラというような共同体のリアリティが弱体することで、「市民」という言葉自体がイデオロギー化してしまったことを先生は指摘した。このような議論の際には、共同体の「解体」は唱えられても、「形成」はほとんど唱えられない。特に70年代には近代主義への批判として共同体の解体だけが唱えられ、「市民」に議論が集中し、「社会」について考えることが背後に追いやられてしまった。そこで、societyということばが明治でどう訳すかという問題になったことを紹介された。この時代には二つの言葉を合わせて、一つの言葉を作るという手法が取り入れられ、漢字を用いて新しい概念を作るということで、言葉の力が特に重要視されていたようである。「社会」という言葉は、かつてなかった公共性をどう言葉でつかまえるか?というような理解を通じての構築に基づいていたようである。
 (3)として都市とも結びつきについて。明治前期にはまだ「市民」という言葉は不安定であり、政府による大規模な政策によって新しい「市」という行政区分が誕生したのであった。しかしその新しい枠組みは、寄せ集めのものであり共同体単位の枠組みとはずれたものだった。その「市」という枠組みが認識されるが遅れ、頼りない言葉になってしまったという。大正デモクラシーにおいては「群集」という運動の認識が存在し、70年代からの社会史の研究の中でも改めて注目される。今一度「群集」の実態に即した問題を問うべきだと先生は指摘した。例えば普通選挙の無記名投票における匿名性が、自由や個人の権利を保障したように、現代のインターネットの普及に関しても匿名的、無定形な新しい形の「群集」を見出すことも可能なのである。
 (4)として主体性の重視について。日本においては主体性の議論に傾きがちであり、ただ自立し批判的でありさえすれば、「市民社会」が立ち現れると簡単に考えてはいなかったかということが指摘された。「市民」という概念と「市民社会」という概念をぴったり寄り添わせるのではなく一度切り離す試みが、「市民」という言葉が理念化、イデオロギー化してしまい、具体的・実質に届かないというような状態から免れられるのである。70年代から、公害問題などにおいて「住民」が登場してきた。90年代にはNPOやボランティアが注目されるようになった。このような時代の流れの中で、イデオロギーとしての「市民」が、より具体的、実質的な市民のイメージに重なっていくのである。

 これまでの現代日本における「市民+社会」をみてきたことを踏まえ、それをどう組み立てなおせばいいのだろうか。佐藤先生は「公」と「私」の二項対立を避けるためにその間に「共」を入れて考えれるべきだとして、その3つの概念を組み合わせ、重なる部分を動かしながら様々な類型を考えることの有用性を、黒板にベン図を書いて示した。現在がどういう状況で、どのような状況が望ましいのか、それを考えることは私たちに委ねられていて、この流動的な「動く」枠を設定することで、共同体の再建を考える必要性を指摘された。そうすることで、国家という枠だけでなく、具体的な厚みをもって社会を捉えられるのではないだろうか。次に、政治システム・経済システム・文化システムという類型について、自発的にこの類型に分けて考える必要性を指摘された。政治と文化のシステムとして読み替える力を文化システムが持つべきだという。また「文化」という言葉が、その意味付けや主体性の分析に傾きがちであることを指摘された。概念的な話ではなく、もっとモノのつながりとして文化をつなげるというシステムと捉える視点も必要ではないだろうか。例えば「文化資源」という言葉には「資源」という言葉が入っているが、その嫌われがちな「資源」という言葉を、欠乏という意識が入っていて資源化する主体を必要とするものだと捉えなおすこと、また「資源」という言葉を使う有用性を自覚することが重要であるようだ。

 まとめとして柳田国男の視点が紹介された。柳田は丸山とは違う戦後の受け取り方をし、民主主義を発言するものだけが発言するという状況だったら、かえってそこに不平等が生じてしまうこと、また国語の教育の重要性を説いた。明治の初めにあったような形のないものをいかに言葉に直すかというときの近代日本語の問題は、動詞が少なかったり行政が言葉を作り、多層的な意味をもった言葉が生まれてしまうことだった。その結果多くの人がモノを思うようにいえず、感じる言葉を話す言葉なないという病に陥ってしまった。そしてそれは戦争がいつのまにか導かれた要因の一つともいえる。柳田はそこで、国語を豊かにすること、考えの手助けをする言葉を「作る」必要性を指摘したのである。ただ考えを発信するだけではなく、聞く側の言葉を味わい分けることも重要であり、それが衰弱化してしまっているのが現代の実情である。微妙なニュアンスを感知感受する力を私たちは養っていかなければいけない。

 最後に問いの共有ということで、「学問」という言葉について考えた。まずは「学」の本質である思考の仕方を学ぶ能力の重要性、そして「問」という言葉に含まれる「答えの共有」と「問いの共有」という二つに側面について指摘された。先生は前者のように自由を求めて一つの解を求めるというような社会の姿勢よりも、複数の解を前提としてそれを共存させる自由こそ、「共」を作る上で重要だという。複数の答えというのは確かに弱い側面もあるが、同じものを別の言葉で捉えるというコミュニケーションの動きによって、そこにさらに柔軟な、しかし強固な「共」が生まれる。今回の講座において市民を「問う」ことの重要性というのも、まさにここで指摘されたようなその人その人自身の言葉によって考えること、それをコミュニケーションによって相手に伝えて共存されることにある。ただ一つの絶対解を探すのではなく、多くの人の意見を共有すること。まさに今回の講座はそのような機会を生む絶好のチャンスのように思えた。
(レポート作成:小野田 真実)

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