2007/07/30

第4回|渡辺裕先生(report #2)

 市民社会について確認する前期の最終回は、市民社会とは再生できるものなのかを問う作業であった。つまり、市民社会と思われているものが、本当に一枚岩的に存在するのか、そもそも再生とはなにかを考え直す必要がある、という内容だったと思う。
 第4回目の講師である渡邊裕先生は、ピアノと市民文化という具体例を挙げて、文化というものが重層的に成立したものであることを説明していった。特に、日本のような非西欧圏での西欧化には、様々要因が絡んでいる。複雑なものであるが故に、環境毎に文化が異なっている。だからこそ、地域毎の文化の差を対立させることの無意味さを説いた。
 どの文化が、どの市民が優れているとか、劣っているとか、同じものをそのまま再生するということ自体、ナンセンスなものであるとは理解しているつもりであった。しかしそう主張するためには、文化の背景にまで踏み込む作業をしなくてはならないのに、そういった行為を怠っていたのではないかと思わされた講義だった。
 講義の具体的内容にはいっていこう。
 西欧音楽の雄といえばピアノであるが、何故ピアノがその地位についたのか。そして多くのピアニストは男性であるにもかかわらず、ピアノにまつわる図像には何故女性が多いのか、を読み解く内容であった。
  ピアノは19世紀ドイツ、両大戦間のアメリカ、戦後の日本で流行した。今回はその事実をふまえて、19世紀ドイツと1920年代アメリカ、第二次世界大戦前の日本のピアノにまつわる図像を中心に見ていった。
 19世紀のドイツでは家庭にピアノが普及していった。コンパクトなピアノが製造され、居間に置かれて家具として使われた。産業革命以後、ブルジョワジーが教養を示すために女性とピアノが結びついたのである。その為に、女性のための曲も作られるようになった。こういった曲は華やかだが難しくないものであったという。
 ここで実際に曲を先生は流してくれた(事実、私はここで流された曲の一つを、小学校の頃に習い、弾いた記憶がある。それも華やかだという印象で、弾きたいとピアノの先生に直談判をして教えてもらった。今思うと、まさに術中にはまったのである)。
 つまり、家庭を支える女性とピアノという構図はそれ以前に存在しない。産業革命以後のドイツにて生まれた構図でしかないのである。
 一方で1920年代のアメリカでは、ドイツ同様ピアノは女性と結びついていたが、その様子は異なっていた。アメリカでは家庭的な女性というよりも、モダンな女性像と結びついていた。それは自動演奏機能のついたピアノが流行したことと、同時に蓄音機も入っていったことによる。音楽を消費するスタイルが生まれたのである。アメリカでは簡単にピアノを演奏し、家電で時間を節約して遊ぶ女性像とピアノは結びついた。
 最後に、戦前の日本ではどうだったというと、家庭のステイタスとしてのピアノとして導入された。良家の子女と結びついたものであったことを、住宅の間取り図やピアノ雑誌から確認していった。
 ピアノと女性の結びつきは、当初からあったものではなく、普及と同時に生まれたものであること。女性と言っても結びつく女性のジャンルは、国や時代によりかわることが確認された。それはピアノだけではない。つまりある文化は、他の文化の影響だけを受け入れているのではないということだ。時代の影響も受けるし、それまでの文化的背景も大きく関わっているものなのである。
 今ある文化を、そして今まで生きた文化をどういうようにしたら有効に活用できるのかを考える時、背景を見ていかないと、それは単純な二項対立に陥ってしまう。それを避けるためにも、文化の背景を問い直していく姿勢が重要だということを考えさせられる講義だった。
(レポート作成:松永しのぶ)

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