2007/11/02

第7回|宮城聰氏+伊藤裕夫先生(report #2)

今回の講義では(財)静岡県舞台芸術センター(Shizuoka Performing Arts Center : SPAC)の内情や宮城聡さんの演劇論が聞けるのではという期待で望んだ。講義の内容は宮城さんがSPACの芸術総監督を引き受けた理由や、これからSPACでどのような活動を行いたいか、あるいは芸術総監督として半年間活動してきたことへの振り返りなど面白い話をたくさん聞けることができた。
その中でも注目する部分は、伊藤先生も触れられていたが「静岡県民とどのような文化を創っていくのか」という部分だと思う。SPACは公共的でもあり、プライベートな劇団でもある日本では珍しい特殊な劇団だ。宮城さんも目標に上げていた「世界レベルの作品」を創ることは第一に達成しなければいけない目標だろう。しかしその第一の目標を達成した上で、さらに公共的でもある劇団なのでその意味を劇団の活動において意味づけることのできなければ「公共的」である意味がなくなってしまう。この部分はなかなか難しい部分だと感じた。作品を創り上げることで静岡県民に何をもたらすことができるか、またその作品によって静岡市民がどう変わっていくのかいう部分は、これからのSPACの活動の核となる部分ではないかと感じた。
また宮城さんはSPACの芸術総監督を引き受けた理由の1つとして、「わざわざ演劇を見にくる人々」ではなく、むしろ「演劇にあまり興味のない人々」に自分の作品を見せることによって、生きる意味や生きているという実感を感じてほしいからだとも仰っていた。この部分に宮城さん独自の演劇に対する考え方が感じられた。今の日本は安定した社会である。安定した社会であるが故に自分の生きている意味や生きる目標を見出せることは、自分で能動的に努力して見つけなければならない。また安定した社会を生きているから私達は一昔前の人と比べて、想像力に乏しく世界が小さい。その部分で演劇を通して現実では感じることのできない想像の中の世界を擬似体験することによって自分の想像を広げ世界を大きくしてほしいという考えなのだ。かつての演劇はその共同体の共有意識の確認を持つことが役割で、宗教的要素も含んでいた。しかし、今日の演劇において役割が逆で、演劇を見ることによって想像しえない世界や自分とは違う生き方を感じて、この世界に存在する多様さを確認する役割を担っている。
宮城さんの演劇論は演劇が今の時代の人々にどのような方法で、またどのような影響を与えるのかということが明確に定められており、今の社会に適応した演劇論だと感じた。芸術総監督に就任して半年でありまだまだ戸惑いも少し感じられたが、これからの宮城さんのSPAC芸術総監督としての活動に期待したいと思う。
(レポート作成:藤原旅人)

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