2007/11/16

第8回|並河恵美子氏+村田真氏

並河さんは、やわらかな雰囲気を纏った、とても素敵な女性である。穏やかな口調で淡々と、お父様から継いだ銀座のルナミ画廊からアートNPOに「行き着いてしまう」までを語ってくださった。
アーティストにとって、自由な表現が可能になる“場所”は重要だ。ホスト講師の村田真さんは、無審査自由出品の展覧会として前衛的な表現活動の場を提供していた読売アンデパンダン展が、過激化していく表現を支えきれずに1963年に終了してしまった後、場所を失った若い作家たちの活動を支えたのが、60年代に増加した貸し画廊だったのではないか、という。日本の、特に銀座の貸し画廊は、自由な場所の提供以上の作家のサポートもやってきた。ルナミ画廊の場合は誰にでも貸すわけではなく、face to faceの関係を大切にして、「アーティストと一緒にやる」という心意気で人を選んでいた。
特に若い人が発表する場所である貸し画廊は、まさに日本の新しい文化が生まれてくるところだ。そこにもっと栄養を与えてほしい。並河さんは、画廊同士が組んで仕掛ける活動にも取り組んだ。企業や行政、いろんなところに支援を働きかけたが、縦割り構造の中で、芸術支援にお金を集めるのは大変だった。90年代になってメセナを意識した企業が文化部を設置したときは、話を聞いてくれる部署ができただけで嬉しかったそうだ。
1998年、並河さんは、35年続いたルナミ画廊を閉じる。専門化しすぎた現代美術の動向に対する閉塞感を感じ、画廊でできることは全てやった、離れないと前に進めないと思ったそうだ。その後地域に出て行くアート活動に取り組み、2002年にARDAを設立する。杉並区の高齢者施設を中心に、アート・デリバリー、アーティストの協力を得て地域にアートをもっていく活動を行っている。
こうした活動を並河さんは、「そうしなくちゃいけないからやってきた」と、いたって淡々と話す。並河さんの歩いてきた道程は、日本におけるアートと社会とのかかわり方の変遷そのものだと思うのだけれど、おそらく当の並河さんは「何かおかしいな」と思い、「こうしたらもっとよくなるかな」と思い、そのために必要だと判断したことを淡々と実践していった結果、アートNPOに「行き着いてしまった」のだと思う。人の心を動かし社会を変えるのは特別なことではなくて、問題意識を忘れずに淡々と行われる実践の積み重ねだろう。その原動力は何かという質問に対して並河さんは、「好奇心、あと人に話すこと。話すと、実現させなきゃと思って、自分に対する責任が生まれるから」と答えていた。並河さんの問題意識の鋭さと芯の強さが垣間見えた気がした。
もう1つ印象に残ったのは、画廊という枠の中では、極端な話「反芸術」を掲げてさえも「アート」と規定できるけれど、枠をとりはらって画廊の外に出たら今度は何をやってもアートと見なされない、そういう「アートレスな社会」のジレンマをどう考えるか、という村田さんの問いかけに対し、並河さんが、「そこに問題は感じない」と言い切ったことだった。画廊においては専らアート=作品だったけれど、並河さんにとってアートとは、作品とその解釈に留まるものではなく、プロセスや行為を通して「誰もが心の底に持っているものをひらいていくこと」だからだ。「人の心をひらくのがアートで、それができるのがアーティスト」で、「枠を取り払うと、アートの解釈ではなくて、人とつながれるアーティストの才能が問われる」、「自分が何を伝えたいかが問われて、ある意味アーティストがすごく試される」。淡々と、けれどもしっかりそう言い切った並河さんは、60年代以降の貸し画廊という新しい文化が生まれてくる場所で、アーティストと一緒に日々がんばってきた人だった。アートという枠に留まらないアーティストという人間の可能性を信じているから、画廊という枠を飛び出してアートNPOに行き着いたのかもしれない。
(レポート作成:中村美帆)

2007/11/02

第7回|宮城聰氏+伊藤裕夫先生(report #2)

今回の講義では(財)静岡県舞台芸術センター(Shizuoka Performing Arts Center : SPAC)の内情や宮城聡さんの演劇論が聞けるのではという期待で望んだ。講義の内容は宮城さんがSPACの芸術総監督を引き受けた理由や、これからSPACでどのような活動を行いたいか、あるいは芸術総監督として半年間活動してきたことへの振り返りなど面白い話をたくさん聞けることができた。
その中でも注目する部分は、伊藤先生も触れられていたが「静岡県民とどのような文化を創っていくのか」という部分だと思う。SPACは公共的でもあり、プライベートな劇団でもある日本では珍しい特殊な劇団だ。宮城さんも目標に上げていた「世界レベルの作品」を創ることは第一に達成しなければいけない目標だろう。しかしその第一の目標を達成した上で、さらに公共的でもある劇団なのでその意味を劇団の活動において意味づけることのできなければ「公共的」である意味がなくなってしまう。この部分はなかなか難しい部分だと感じた。作品を創り上げることで静岡県民に何をもたらすことができるか、またその作品によって静岡市民がどう変わっていくのかいう部分は、これからのSPACの活動の核となる部分ではないかと感じた。
また宮城さんはSPACの芸術総監督を引き受けた理由の1つとして、「わざわざ演劇を見にくる人々」ではなく、むしろ「演劇にあまり興味のない人々」に自分の作品を見せることによって、生きる意味や生きているという実感を感じてほしいからだとも仰っていた。この部分に宮城さん独自の演劇に対する考え方が感じられた。今の日本は安定した社会である。安定した社会であるが故に自分の生きている意味や生きる目標を見出せることは、自分で能動的に努力して見つけなければならない。また安定した社会を生きているから私達は一昔前の人と比べて、想像力に乏しく世界が小さい。その部分で演劇を通して現実では感じることのできない想像の中の世界を擬似体験することによって自分の想像を広げ世界を大きくしてほしいという考えなのだ。かつての演劇はその共同体の共有意識の確認を持つことが役割で、宗教的要素も含んでいた。しかし、今日の演劇において役割が逆で、演劇を見ることによって想像しえない世界や自分とは違う生き方を感じて、この世界に存在する多様さを確認する役割を担っている。
宮城さんの演劇論は演劇が今の時代の人々にどのような方法で、またどのような影響を与えるのかということが明確に定められており、今の社会に適応した演劇論だと感じた。芸術総監督に就任して半年でありまだまだ戸惑いも少し感じられたが、これからの宮城さんのSPAC芸術総監督としての活動に期待したいと思う。
(レポート作成:藤原旅人)

第7回|宮城聰氏+伊藤裕夫先生

※事務局より…第7回の講義も、2人の受講生にレポートを書いていただきました。受講生の着眼点や解釈の多様性を含めて、お読みいただければと思います。以下、2回に分けて投稿します。
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現代の舞台は違いを確認する場所である。多様性を表出する場所としての舞台、多様性を確認する場所として劇場がある。その多様性とは表面にあるものではなく、「のぞきこむ」ことで見えてくる。今回の講義で、もっとも印象に残ったことであり、宮城さんが繰り返し何度も語っていたことのように思う。
役者の個性を見出す方法という話があった。何人もの役者を舞台にあげる。そこでそれぞれの違いをどのように表現するか。「私服で来てください」という。すると皆がばらばらの服でやってくる。みんなが「違う」服装であることが一目でわかる。いっぽうで、一様に同じ燕尾服を着て並んでもらう。すると「同じ」服装であるからこそ、その人の持っている違いが、逆に表出してくることとなる。むしろ多様性とは、私服から「見える」多様さではなく、みんな同じ服装のとき、「のぞきこむ」ことではじめて見えてくるようなものではないだろうか。具体的なイメージを喚起されるこの例は、とても印象深く残った。
ここで、ふと思い浮かんだのは、就職試験のことである。面接であったり、説明会であったり、会場へ行くとみんな同じようなスーツを着て並んでいる。その光景を見るたびに「みんな同じで気持ちが悪い」という抵抗を感じていた。一言でいってしまえば多様性がないことへの違和感だ。しかし、もしかしたらそこに「同じ基準に並べられるからこそ分かってくることがある」という宮城さん的な戦略があったのだろうか。と、深読みしてしまうが、試験官はしたことがないので、はたしてそこまで「のぞきこんで」判断しているかは分からない(おそらくないと思うけれど)。が、ここには多様性をのぞきこまれることの怖さがあるようにも思う。つまり、のぞきこんだら、多様性がなかったということ。ならべると、かならず多様なものが見えてくると宮城さんは言っていたが、そんな悲観的なことを考えてしまう。就職試験の会場で感じた違和感は、「見えた」ものだったのか、「のぞきこんだ」末に見えたものだったのか。どうしても後者であったという不安をぬぐいさることができない。
このように多様性という言葉は宮城さんの講義で2つの意味を持っていた。見える多様性とのぞきこむ多様性。のぞきこむことで見つかる多様性とは、前者に比べて「のぞきこむ」という行為を超えてくるような強さをもった多様性ともいえるかもしれない。宮城さんの話は、うんうん、と何度もうなづきながら、そうだよねぇ、と共感しながら聞くことができた。しかし、よく考えて、とても怖い問いを突きつけられていることに気がついた。横並びにされて「のぞきこまれた」とき、あなたは多様な存在でいられますか、と。
宮城さんの話のような多様性を保持した社会は自分にとって理想の社会像であった。だが個人の問題として捉えなおし、自らの経験から周りを眺めたとき、そこに落差を感じざるをえない。しかし、このように落差を意識できたことが今回の講義ではとても重要なことだったと思う。理想像を確認することができ、そこへの落差も再確認することができた。これからは落差の隙間に落ちないように、それを意識しつつ、どのように埋めていくのか、少ないながらも一歩を踏み出していくことを考えていけばいいからだ。少なくとも、宮城さんも含め、後期の講義を通じてのゲストのみなさんは、そのように思い描く社会をもって、落差を意識しつつも、実践をしているからこそ、魅力的であったように思う。
(レポート作成:佐藤李青)

2007/10/19

第6回|中島諒人氏+小林真理先生

※事務局より…第6回の講義では、2人の受講生にレポートを書いていただきました。受講生の着眼点や解釈の多様性を含めて、お読みいただければと思います。以下、2回に分けて投稿します。
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中島諒人さんという演出家がどのような活動をなさっている方なのかは、お話を伺うまであまりよく存じ上げなかった。
印象的だったのは、中島さんが主宰する「鳥の劇場」の拠点である鳥取市の旧鹿野小学校という「場」に関係した事柄である。
それは、校舎部分は占有できるものの、上演スペースである体育館部分に関しては、建前上1日ごとの使用という形を取らざるを得ないといった具体的な問題から、この場所を地域の「知の拠点」として位置づけて行きたいというような、理念的な問題にまで及ぶ。
前者の問題については、以前は公演ごとに毎回、客席の解体を行っていたら、行政側の方が見かねて実質的には連続での使用を可能にしてくれたというようなエピソードから両者の円満な関係を感じられたし、体育館を劇場に改造するための投資金額の例などは、会場とのやり取りの中でも話題になったように、今後地域の文化拠点を作っていく上で、「鳥の劇場」のようなケースが1つの選択肢として取り上げられるべきであるということを説得するに十分だろう。
「知の拠点」という言葉には、恒常的な演劇活動などによって、地域の知が「蓄積」される場を目指したいという意図が込められているようであった。
最後に小林真理先生もドイツのレパートリー劇場について少し触れられていたが、劇場専属の劇団によって、文字通り演劇の作品が「蓄積」されていく劇場が国内各地に存在する状況に対して、いわゆる「貸し館」が大部分で(貸し館=悪と単純に言ってしまってはいけないが)、恒常的な活動による成果の蓄積が期待しにくかったり、東京以外の土地で継続して活動する演劇集団の数が少ないといった日本の現状を眺めた時、鈴木忠志氏や「鳥の劇場」の活動は非常に意義の深いものだと感じる(中島さんも「鳥の劇場」が地域で活動をするにあたって、鈴木氏の利賀村での活動を目にしていたことが非常に参考になったと仰っていたが、これもある種の「蓄積」といえる)。
「わかりやすい」ことをやるのではなく、あえて観客がわからないかもしれないことをやろうとなさっている姿勢にも非常に共感を覚えた。「わからない」というところから、演出家・俳優と観客、観客同士の対話や交流が生まれるというようなあり方こそ、市民社会の中での演劇・劇場の姿として望ましいものだろう。
「鳥の劇場」のような例がもっと広く知られることで、東京・その他の地域を問わず、日本の演劇状況がより豊かになっていくことを期待したい。
鳥取まで行き、実際にこの「場」の空気に触れてみたいものだが、なかなか時間的にも経済的にもそうはいかないので、まずは年末に予定されている東京での「鳥の劇場」の公演に足を運ぼうと思っている。
(レポート作成:日置貴之)