2008/06/15

感想文・中村雄祐『読み書きと生存の行方』

6月13日の講義に先立ち、前回配布された中村先生の参考文献を拝読しました。
読み書きの能力は、知識や情報を得るために重要なものです。朝起きて新聞を読み、移動中の電車内で本を読み、中吊り広告をながめる。お昼休みには雑誌を読み、帰宅するとポストに入れられた手紙を読み、パソコンに向かってメールのチェックをする。普段の生活の中で何気なく、当たり前に行っていることですが、もし文字が読めなかったら、これらの行為はできません。
ただ、テレビやラジオなど、視覚、聴覚を使った情報伝達も存在します。文字が読めなくとも、ある程度の知識、情報は得られるはずです。しかし、人々の暮らし向きを示す指標としてよく参照される人間開発指標(HDI)では、その主要構成要素である知識の大きな位置を読み書きが占めています。「読み書きと生存の間の関わりを強めるような人工的な制度群が急速に地球上を覆い尽くしつつあることを示唆するものとして捉えるべき」という一文に、現代世界の中に見えない支配の存在を感じました。
「読み書きと生存」の関係を見るにあたり、物理的存在としては人間の生存に特に影響のない「紙」の消費量とHDIの間に関係が認められることは、興味深く思いました。ただし、読み書き用紙の消費量増加が暮らし向きの向上と直結するわけではなく、ドイツのホロコーストを例に災厄をもたらす過程に深く関わることもあり、「結局、印刷用紙は、現代文明の輝かしい躍進にも絶望の極みにも等しく関わってきた」という、一筋縄にはいかない難しさを感じました。
現代の日本では、読み書きの能力はある程度の年齢に達すれば誰もが持っているものとされ、特に議論されることはありません。そのため、その利点や他との関連は考えたことがありませんでしたが、「読み書きと生存」の間には簡単には説明できない、様々な関わりがあることを知りました。
(渡辺直子)

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